diary
産みました
Posted by Miki Ishijima on .妊娠中から出産が落ちつくまでの「なぜ産もうと思ったのか、産んでどう思ったのか。」とりとめのない文章が、下書きのまま積り積もってしまいました。かいつまんで振り返ってみます。
臨月から出産
冗談かと思うほどお腹がパンパンになり、家族や大家さんに「こんなに大きくなるんだっけ」と言われました。
産まれたサイズは2890g。3000g以下で産まれたのは、わたしの糖質制限のたまものだと思いたい。
出産日の一週間前から毎日録画していたビデオ日記が消えてしまったのは悲しいですが、陣痛10分間隔時の様子、破水した瞬間の音声、分娩室に入ってからの1時間のデータはしっかり残っています。
この教訓からiCloudでのメディアバックアップをやめ、Google Photoに移行しました。写真.app上でデータを消してしまうと、他デバイスからも消えるの知らなかった。ローカルにデータが同期されるもんだと思ってたんです。悲しすぎる。
ちなみに出産は4時間ほど。助産師さんが「ほとんど一人でやってましたよ」と言ってくれるほどスムーズに産まれました。
旦那さん曰く「顔にすごい血管浮いてた」そうな。
顔が赤いのはそのせい。
結婚について
経済的にも精神面でも自分のことは自分でカタをつけられる「余裕のある年齢」になったときに、相手がいたから「じゃあ、結婚しようか」となりました。
旦那さんの「数えきれないほどの魅力」が決意を後押ししたのは言うまでもありませんが、一番はそれでしょう。
これまで、何回か婚約に近しいところまでいきつつも白紙になっていたのです。
「この結婚失敗だったと思いたくない、思われたくない。」結婚したらもう引き返せないように感じていたからでしょう。
しかし、30代に入れば、離婚歴のある友人がまわりに増えていきます。その環境のおかげで、「失敗しても別にいいや」となり、それなら今好きな人と結婚しよう。と思えました。
出産について
「好きな人の小さいころに会いたかった」
ロマンチックな感想で恥ずかしいですが、それ以上の理由はありません。旦那さんは絶対可愛らしい子供だったと思います。
- 旦那さんと、子どもが会話している様子
- 旦那さんが子どもを抱っこしている様子
そんなことを想像するだけで、ごはん10杯はいけます。
産院で行われるマタニティクラスで、生後二ヶ月の赤ちゃんと触れあうという回があったのですが、旦那さんが赤ちゃんを抱っこする姿に一種のカタルシスというか。胸が熱くなりました。
曽田先生の作品によく出てくる、こんな表情です。
「子供が産まれたら大変だよ〜」
妊娠期間中、耳にタコができるくらい言われるこの言葉。これ、やめた方がいいと思うんですよね。
確かに大変ではあるんです。でも重大なことに気付いてなかった。「この大変だよ〜」と言う人々、みんな笑顔なんですよね。それに気付かず言葉だけ鵜呑みにして、結婚・出産を後回しにしていました。
今思うともっと早く産んでおけば良かった。
でも、今の環境だからこそゆとりのあるライフスタイルで子育てできているのかもしれないから、今が良い時期だったとは思うんです。タイムマシンで過去に戻れるとしても、また似たような道程を歩むと思います。
子供を産むと出来なくなる事なんて無かった
「海外に住みたい」「まだまだ仕事がしたい」「長期旅行にでかけたい」
だから、子供はまだいらない。
そう思ってましたが、なんら実現するためのアクションをしていなかった。
で、産んでみたら、出来ることが増えたというか。そんな印象。
人生周回プレイに入った。そんな感じ。
自分が小さいころ、どう育てられてきたか、親から何を受け継いでいたのか。自分はそれをどこで変えたのか。
- 「小さいころ、よくこうして歌っていたな」
- 「今の喋り方、母親に似てたな」
- 「和食ばかり作るようになったのは外食ばかりしていた反動かな」
子どもと生活をしながら、そんな事ばかり考えるようになりました。改めて、小さいころの思い出が「地続きである」そんな印象です。
また、両親がどんな思いで私たちを愛してくれていたかも、分かるようになりました。
- 「頭のカタチがキレイになるように寝かせよう」
- 「虫歯ができないように気をつけなくちゃ」
- 「栄養が偏らないように、いろんな野菜を食べよう」
これまで、自分ひとりで生きてきたと本気で思っていましたが、親になってみて初めて、「愛されて産まれてきたんだな。」と感じることができました。
家族仲はあまり良くない方でしたが、子どものおかげでうまく回るようになった。まさに子はかすがいですな。
子供が産まれても、海外に住もうと思えば住める。仕事だってやれる。長期旅行にだって出掛けられる。けっきょく自分は、やらない理由を並べたてて、後回しにしてただけだったんですね。
知識だけが増えて、体験していなかったのに食わず嫌いばかりしていた気分です。産む産まないは関係なかったのにね。
本の冒頭に「母親になれるか」という章があります。
自分は人間が出来ていないから、赤ちゃんをそだてる資格がないと思うのにも賛成できない。人間は完成するものでないし、完成に近づいたにしても、そのころには子どもをそだてられない。だが親になることは、人間を完成に近づける機会であることにまちがいない。
わたし自身、産まない選択をしようとしていたので、産む産まないどっちが良いかはそれぞれだと思っていますが、妊娠中にこの文章を読んで、「未熟だけれど、それもでいいか。」と思えたのでした。
とにかく今は楽しく、幸せにあふれている。そんなコトを未来の自分のために記録しておきます。ではでは。